センスは才能じゃない。AI時代にこそ効く「普通」と「半歩先」の話
デザインの仕事をしていると、「センスがある/ない」という言葉に何度もぶつかります。まるで生まれ持った才能みたいに語られがちなこの言葉。でも、2冊の本を読んで、ももっぺの中の考えははっきり変わりました。
センスは、才能ではなく技術です。そして、AIがあたりまえになったいまだからこそ、その価値はむしろ上がっている——今回は、ももっぺがデザインのセンスについて大切にしたいことを、読書メモをもとに文章にまとめてみます。
参考にしたのは次の2冊です。
どちらも「センスは特別な人の特別な才能ではない」という一点で、深くつながっている本でした。
センスは「気づきと更新」の積み重ね
まず前提として信じていたいのは、センスは再現できるということ。
センスとは、数値化できない良し悪しを判断し、最適化していく能力であり、日々の「気づきと更新」の積み重ねの結果です。偶然のひらめきではなく、育てられる技術。
昨日の自分の「普通」を、今日の自分が少しだけ超えていく。その連続の先にセンスがある。そう考えると、「センスがないから」と手を止める理由はどこにもなくなります。
土台になるのは「普通を知る」こと
では、何から始めればいいのか。答えは意外なほど地味で、「普通を知る」ことです。
ここでいう「普通」は、平凡なものをつくるという意味ではありません。
- いいものがわかるということ
- 悪いものもわかるということ
この2つがそろって、はじめて「普通」という定規が手に入ります。そしてこの定規があるからこそ、あらゆる事象を測れて、ありとあらゆるものをつくれるようになる。
自分の中の「普通」の基準を、あらゆる人にとっての「普通」に近づけていくほど、判断の精度は上がり、最適化しやすくなります。センスを良くしたいなら、遠回りに見えても、まずは普通を深く知ることから。ももっぺはここを大切にしたいと思っています。
AI時代に問われるのは「正しさ」ではない
そのうえで、いまの時代ならではの話をしたいです。
検索すれば正解が出て、AIに聞けば答えは整理される。「知っている」ことの価値は、もうゼロに近くなりました。誰もが同じツールを手にして、正しくて無難な成果物をつくれる時代です。
でも、ここに落とし穴があります。
無難は、安心感を与えるだけで、感動は生まない。
間違ってはいないのに、印象に残らない。ももっぺはこれを「正しさの罠」と呼んで、いちばん警戒しています。整った文章、破綻のない提案——それ自体は悪くない。ただ、それだけでは人の心は動きません。
心を動かすのは「半歩先の言葉」
では、心を動かす提案とは何か。キーワードは「半歩先」です。
人がハッとするのは、相手が理解できる範囲の、すぐ外側にある提案。共感と予想外のちょうど間にある、心地よいズレです。この距離感はとても繊細で、遠すぎると伝わらないし、近すぎると平凡になる。
たとえば、同じことを伝えるにしても——
- 「コスト削減です」ではなく → 「この施策で、社内の温度が3度変わります」
- 「顧客満足度が上がります」ではなく → 「クレームが、”ありがとう”に変わります」
言っている事実は同じ。でも、どう差別化して、どう相手の心に残す表現をするか。正しいことよりも、独自の視点にこそ価値が置かれる。そこに、いまの時代のセンスが宿るとももっぺは思うのです。
AIは「センスの増幅装置」
最後に、AIとの向き合い方について。
AIは、ももっぺの構想を映す鏡です。そして、センスの増幅装置でもあります。入力の精度が高いほど、返ってくるアウトプットのセンスは何倍にもなる。逆に言えば、こちらの設計がぼんやりしていれば、出てくるものもぼんやりする。
だからAI時代に問われるのは、自分の設計力です。
目的を明確にして、ゴールに向けて整理できる構成力・編集力。それを支えるのが、半歩先を感じ取る感覚——つまりセンスです。センスとは、人間がAIに”心”を教えるための、いちばん重要なスキルなのだとももっぺは思います。
おわりに
まとめると、ももっぺがデザインのセンスについて大切にしたいのは、この流れです。
- センスは才能ではなく、気づきと更新の積み重ねで育つ
- 土台は「普通を知る」こと。いいものも悪いものもわかる定規を持つ
- AI時代の落とし穴は「正しさの罠」。無難では感動は生まれない
- 心を動かすのは、共感の半歩先にある独自の視点
- AIはセンスの増幅装置。問われるのは自分の設計力
観察する目を持ち、思考を遊ばせ、伝える勇気を持つ。この積み重ねを、これからも大切にしていきたいと思います。
